瀬戸栄一は27歳で中国で戦死した、純子(旧姓 瀬戸)の叔父です。幼いころから絵を描いたり自然が好きで 京都大学農学部の学生でした。学生の時報国隊として中国を見分したり、独自に台湾を見分したりして、その 記録を絵と文で残しました。その量は短い生涯を考えると膨大なものです。栄一の絵は長野の上田市の「無言 館」に一枚油絵が飾られています。
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